AIに頼らないと、自分のブログも直せない。便利さと依存について考えた。
自分で作ったブログなのに、AIがいないと直せない。小さなエラーをきっかけに、AIの便利さと依存について考えました。最近、「AIが人類にとって脅威になるかもしれない」という話を目にすることが増えました。
AIが人間より賢くなり、制御できなくなる。
最悪の場合、人類の存続そのものに影響する。
少し前までの僕は、こういう話をどこか他人事として見ていました。
正直、
「さすがにそこまではないだろう」
と思っていました。
映画の世界のような話に感じていたからです。
ただ、最近自分でAIを使っていろいろなものを作るようになって、少しだけ考え方が変わりました。
もちろん、
「AIが明日、人類を滅ぼす」
と思うようになったわけではありません。
そこまでの未来は、今の僕には想像できません。
ただ、
「絶対にありえない話なのだろうか」
と聞かれると、以前ほど簡単には否定できなくなりました。
その理由は、とても小さなところにあります。
このブログです。
僕は、自分のブログをほとんど理解していない
このブログは、AIにかなり助けてもらって作っています。
文章を書く。
デザインを変える。
新しい記事を追加する。
Webサイトのコードを修正する。
そのほとんどをChatGPTにお願いしています。
僕が理解していることは、本当に少しだけです。
AIがWebサイトを表示するためのデータを作る。
それをGitHubという場所に置く。
そして、そのデータがWebサイトとして表示される。
大ざっぱに言えば、それくらいです。
少し前まで「GitHub」という言葉すら、ほとんど知りませんでした。
AIに教えてもらいながら使っているうちに、
「ここにファイルを置けばサイトが更新される」
ということは分かるようになりました。
でも、
なぜそうなるのか。
そこまで説明しろと言われると、ほとんど分かりません。
エラーが起きると、何もできない
普段はそれでも困りません。
「ここを変更して」
とAIに頼めば、変更してくれる。
「こんなページを追加したい」
と言えば、コードを作ってくれる。
自分では作れなかったものが、どんどん形になっていく。
ものすごく便利です。
しかし、エラーが起きると状況が変わります。
画面が表示されない。
ボタンが動かない。
GitHubでエラーが出る。
そんなとき僕は、画面を見ても原因が分かりません。
だから、やることは一つです。
AIに聞く。
「こんなエラーが出たけど、どうすればいい?」
するとAIが、
「この部分を修正しましょう」
と教えてくれる。
そして直る。
僕は安心します。
でも、あるときふと思いました。
もし、このAIがなかったら?
おそらく僕は何もできません。
エラーの意味も分からない。
コードのどこがおかしいのかも分からない。
場合によっては、どのファイルを触ればいいのかすら分からない。
自分で作ったブログなのに、
自分では直せない。
そこで思い浮かんだ言葉が、
「砂上の楼閣」
でした。
見た目は立派になっていく。
できることも増えていく。
でも、それを支えている仕組みを自分自身はほとんど理解していない。
AIが進化すれば、この状況はもっと増えると思う
今後、AIはさらに便利になっていくでしょう。
今はまだ、
ファイルをダウンロードしたり、
GitHubにアップしたり、
設定画面を操作したり、
人間がやらなければならない作業が残っています。
でも、これも少しずつ減っていくのだと思います。
将来は、
「こんなサービスを作って」
と言うだけで、
設計して、
作って、
公開して、
問題が起きたら修正して、
全部AIがやってくれるかもしれません。
それは、とても便利な未来です。
僕も間違いなく使います。
ただ、そのとき、
人間は今よりも仕組みを理解しなくなるのではないか。
そんなことも考えます。
今の僕がブログの仕組みをよく分からないまま使っているように、
企業のシステムも、
社会の仕組みも、
もっと重要なインフラも、
「AIがやってくれるから大丈夫」
となっていく可能性があります。
そして問題が起きたとき、
人間側に直せる人がいない。
AIに聞くしかない。
そんな状態になったらどうなるのでしょうか。
「AIが支配する」は、もっと地味な形かもしれない
「AIが人類を支配する」
という言葉を聞くと、
僕は以前、
ロボットが人間に反乱するような世界を想像していました。
でも最近は、
必ずしもそんな分かりやすい形ではないのかもしれないと思っています。
人間が便利さを求めて、
少しずつAIに任せる。
さらに便利になる。
もっと任せる。
そのうち、
AIなしでは仕事ができない。
AIなしではシステムを直せない。
AIなしでは重要な判断すら難しい。
そうなったとき、
誰かが「AIに支配された」と宣言しなくても、
実質的にはAIなしでは社会が動かない状態
になっているかもしれません。
それを「支配」と呼ぶのかは分かりません。
ただ、
依存という言葉なら、かなり想像できます。
便利だからこそ、少し怖い
僕はAIを否定したいわけではありません。
むしろ逆です。
AIがなければ、このブログを作ろうとすら思わなかったでしょう。
Webサイトを作ることも、
アプリを作ることも、
おそらく挑戦していません。
僕のような初心者でも、
「作ってみたい」
と思ったものを実際に形にできる。
これは、本当にすごいことだと思います。
だからこそ怖いのです。
使いにくいものなら、ここまで依存することはありません。
便利すぎるから、依存してしまう。
そして僕自身、すでにかなりその入口に立っています。
AIに任せながら、少しだけ理解する
だからといって、
今からプログラミングを全部勉強して、
AIを使わずにブログを作ろう、
とも思いません。
それではAIを使う意味がありません。
ただ、
全部を理解する必要はなくても、
自分が何をAIに任せているのかくらいは分かっていたほうがいい。
最近はそう思うようになりました。
このブログを始めて、
GitHubというものを知りました。
HTMLというものも少し知りました。
Webサイトがどうやって公開されているのかも、以前よりは分かるようになりました。
全部、AIを使わなければ学ばなかったことです。
AIに依存することで、何も考えなくなるのか。
それとも、
AIを使うことで、今まで知らなかったことを学べるのか。
たぶん、この違いは結構大きい気がします。
「AIが人類を滅ぼす」
という話が本当に起きるのか、僕には分かりません。
今でも、そこまでの未来を具体的に想像することはできません。
でも、
「そんなこと絶対にありえない」
と笑う気持ちは、以前より少し減りました。
きっかけは壮大な未来予測ではありません。
ただ、
自分で作ったブログにエラーが出たとき、
AIに聞かないと何もできなかった。
それだけです。
とても小さな出来事です。
でも、そのときふと、
「社会全体がこれと同じ状態になったら?」
と考えました。
便利さと依存は、たぶんかなり近い場所にあります。
AIを使えば使うほど、
そのことを少し意識しておいたほうがいいのかもしれません。